大学山岳部に入部してクラシックルートのロッククライミングに没頭していると、1〜2年で劔や滝谷の岩場では満足できなくなる時期が来る。そして国内のビッグウォールに足が向くようになるのだが、必然的にエイドクライミングが中心となる。
当時のクリーンクライミング(なるべく岩を傷つけず人工物も残さず登る)の影響を受けて・・・というよりはボルトなど打つのがしんどいので、ナッツやフレンズをたくさん使ったが、どちらかといえばコパーヘッドやラープをバシバシ叩き込んで登るジム=ブリッドウェルやグレッグ=チャイルドのアメリカンエイドの方が好きだったので、ロストアローの固め打ちにタイオフだ!スカイフックだ!と、工事のようにガシガシと登っていた。
私の場合はフリークライミングには向かわなかった。フリークライミングはトレーニングにするもので、あくまで本チャンの壁が好きだから、と言い訳しつつ、実は岩雪の記事でジョン=バーカーというクライマーの写真を最初に見たときに『これは無理』と決めてしまった影響が大きい。
これがその『岩と雪』の表紙写真である。

・・・Midnight Lightning(V8)を登るバーカーの写真は、この岩雪72号発行当時は相当の衝撃だったという。まだジョン=ギルを知る前だったので、これは無重力の宇宙遊泳にしか見えなかった。左手などは何をホールドにしているのやら・・・
それだけで自分のクライミングの世界とは別物と線を引いてしまったが、バーカーがノーズとハーフドームを14時間で登った等、ニュースはその都度気になってチェックしていた。

↑嵐の後、ハーフドームのThank God Ledgeに座っているジョン=バーカーとピーター=クロフト(1986年エルキャピタン/ハーフドームのワンデイアッセント)
そのジョン=バーカーが、7月5日、カリフォルニアのマンモスレイクに近いダイクウォールでフリーソロの途中にグランドフォールして亡くなった。享年52才。もっともこの年齢まで第一線でフリーソロを続けていたということにも驚いた。
In every sport there are men, myths and legends. In the world of rock climbing and free soloing without a rope, there is only one name that fits all three: John Bachar. (
JohnBachar.comより)
バーカーのクライミングから思うのは、極度に困難なクライミングにおいて、その困難さには技術的困難と心理的困難があるということ。そしてバーカーと同レベルの技術的実力を持つクライマーであっても、バーカーと同じフリーソロというスタイルにはなかなか接近出来なかったということは、つまりバーカーの天才はその技術ではなく、その心理的な部分にあったということだ。
5.11dのルートをロープによる確保付きでリードできるなら、ロープなしで同じように体を動かせばフリーソロでも登れるはずだ。ということが、フリーソロというスタイルの立脚点だ。したがって、5.10aがやっと登れる人は5.11dのフリーソロは普通やらない。そこにはいわゆる"見切り"という心理現象がある。
たとえば、手摺の無い幅50センチ長さ100メートルの橋が高さ1メートルにあったら、私はそれを渡ることが出来る。しかし手摺の無い幅50センチの同じ橋が東京都庁の2つのタワーの間に渡してあったら、私はそれを渡ることが出来ない。幅50センチの橋を歩く技術はあるが、その技術を高さ150メートルでは発揮できないからだ。
しかしバーカーはこう考えたかもしれない。同じ幅50センチ長さ100メートルなら、高さが1メートルでも150メートルでも同じはずだと。つまりこれが"見切る"こういうことだろう。
フリーソロの一部・・・すごい

Crack A Go Go(5.11c)

Gripper(5.10b)

Five+Dime(5.10d)

Reeds Direct(5.9)

On the Lamb(5.9)

New Dimensions(5.11a)
バーカーが珍しくロープを組んでTuolumne Meadowsに拓いたthe Bachar-Yerian(5.11c)には、500フィート(約150メートル)のルートにボルトは13個しかなく、その全てがルートをリードして開拓しながら設置されたものだ。

ボルト13個で初登するということは、もっとたくさんのボルトを打たなければ登れないのなら登らない、という意志の表れだ。真似は出来なくとも、自分を自分の実力以上のものに仕立てあげようとしなかったその心映えには、ただ頭が下がります。

Climb High John!
Rest in Peace.