南光河原駐車場で車を降りた時点では、まだどのルートを登るか決めていない。元谷まで登って北壁全体のコンディションを見てからルートを決めることにしているので、とにかくクライミングの装備は全て持って行くはずが・・・ここで大事なギアを忘れたのは事実である・・・
元谷から北壁を眺める・・・

↑北壁西側のフェース
天候はまずまず、南岸低気圧が雪を降らせて去った後、弱い冬型の気圧配置になっているはず。ということは午後にはガスが上がってきて風も若干強くなる。
北を向いたそれぞれの谷筋にはたっぷりと新雪が積もっている。ここで考えることは主に2つだ。第1に壁がガッチリと凍っているかどうか?特に別山北壁や大屏風は、岩が緩んでしまう位に気温の高い時に登るのは危険だが、今朝は良いコンディションに見える。第2に壁の基部までのアプローチルートに新雪雪崩のリスクがあるかどうか?今日は規模は小さいながらもリスクがあるように感じる。
パートナーのTとしばらく相談した結果、別山バットレス北壁の中央稜に決める。ただしルートの開始地点までのアプローチは、普通は元谷小屋奥の尾根の東側を登るのだが、今日はアプローチ上部で弥山尾根付近からの雪崩もありえるので、尾根通しを登ることにした。つまり元谷小屋から中央稜ルート開始地点を目指して尾根上をラッセルすることになる。

↑別山バットレス北壁の中央稜ルート(赤のライン)
案の定、ラッセルは厳しい。腰までの積雪の中、急な斜面では胸までのラッセルをTと2人で交替しながら進む。約2時間のアルバイトで別山バットレスの基部に到着。改めて壁の状況を観察しながら、クライミング装備を身につける。
防寒着に着替えてハーネスを装着。ハーネスのギアラックに確保用のカラビナや制動器を掛けてゆく・・・なんか足りないな・・・オー、ピトン(ハーケン)を全部忘れた!冬壁用に買っておいたアングルピトン(氷雪の詰まった割れ目に打ち込むV字型のハーケン)とナイフブレード(同じく幅の広い割れ目用)各種・・・
ここでルートの状況を必死で思い出して、ピトン無しで行けるかどうか、気持ちの上で確認。ビレイポイント(確保地点)には残置ピトンや残置ボルトがあるはずなので、登ることには問題ない。この場合心配なのは、いざ壁の途中から撤退という時の懸垂下降や自己確保のために、それらのギアが要るかも知れないという懸念だ。

↑別山バットレスのプロフィール(弥山尾根から)
急な雪璧からルートを登りはじめる。隣の弥山尾根に3人パーティーが取り付いている。我々よりも早い時間にクライミングを始めていたが、最初のピッチをトップが登っているところだ。我々は開始地点から50〜60Mほど登って中央稜のリッジ上に出たが、まだまだ上部までコンティニュアス(お互いにロープで繋がっているがランニングビレイ以外の確保はしない)で登るのでスピードは速い。時間を忘れて中央稜を半分ほど登ったところでしばらく休憩。後続のTを待って、ここからはお互いを確保しながら登ることにする。

↑別山バットレス北壁中央稜のルート(赤のライン)
ところどころ際どい部分を乗り越えながら、2ピッチ登って核心部の凹角下部でビレイ。雪が降っているが風はほとんどなく、ノンビリしたクライミングだ。凹角の岩の部分まではアイゼンの前爪を氷雪璧に蹴りこんでのスムーズなクライミング、ただし頼りになるランニングビレイ(中間確保)はあまりない。そんな状況から凹角下に入り込んで初めて埋込みボルトにランニングビレイをとる。浮石を慎重に確認しながら、凹角をまたぐ体勢で登ると、股の間から急なリッジが切れ落ちているのが見える。凹角を突破して確保地点へ。今度はTが登るために確保する。
私はガイドクライミングでも何度もここを登ってるが、Tは今日がこのルートの初クライミング。凹角では少し苦労していたが、さすがにベテランだけに安定して登ってくる。実はここから上部にも、きついオーバーハングと、おっかないナイフリッジが待っている。
天候はまだまだ崩れてはいないが、雪と風が少しづつ強くなってきている。隣の弥山尾根を登っているザイルパーティは、まだ我々よりも100Mくらい下で苦労している。彼らは日没までにルートを登りきることが出来るだろうか・・・
次のピッチのオーバーハングを越えると、雪璧の傾斜がゆるくなり、やがて右上部に別山北壁の最高点が見える。そこまで1ピッチを残してビレイ点を作り、Tを確保。
最高点まで40M、その先は大山の頂上稜線までナイフリッジが続いているが、これがまたいやらしい。特にナイフリッジのクライムダウンには気を遣う。Tがトップで降りる。途中のコル(鞍部)で確保。ここからは再びコンティニュアスクライミングで頂上稜線を目指す。

↑別山山頂から右へリッジが続く
ナイフリッジを15分ほど登って頂上稜線の雪のプラトーに出る。ここで本日のクライミング終了。登ってきたTとガッチリ握手して、早々に装備を片付けて下山を開始する。
風雪がいっそう強くなり、6合目の避難小屋まで下る間に顔半分の眉毛や髭に氷が張り付く。吹雪が痛くて風上に顔を向けることは出来ない。これは冬の大山の稜線では普通のこと。しかし弥山尾根のザイルパーティーはまだ北壁を抜けていないと思われるので心配だ。あと2時間もすれば暗くなってくる。北壁を抜けさえすれば、頂上の避難小屋でビバーク出来るので安全だろう。
5合目の少し上から元谷側に下降。一般ルートを歩いて降りるのが面倒なので、元谷まで一気に滑って降りる。非常に快適。頂上から1時間で元谷に到着。北壁は完全にガスに覆われて、既に近づく者を拒否しているようだ。気がつけば、2人ともクライミングに夢中で昼飯を食べ忘れていた。それに気が付いた途端に腹が減ってきた。
元谷から北壁を眺める・・・

↑北壁西側のフェース
天候はまずまず、南岸低気圧が雪を降らせて去った後、弱い冬型の気圧配置になっているはず。ということは午後にはガスが上がってきて風も若干強くなる。
北を向いたそれぞれの谷筋にはたっぷりと新雪が積もっている。ここで考えることは主に2つだ。第1に壁がガッチリと凍っているかどうか?特に別山北壁や大屏風は、岩が緩んでしまう位に気温の高い時に登るのは危険だが、今朝は良いコンディションに見える。第2に壁の基部までのアプローチルートに新雪雪崩のリスクがあるかどうか?今日は規模は小さいながらもリスクがあるように感じる。
パートナーのTとしばらく相談した結果、別山バットレス北壁の中央稜に決める。ただしルートの開始地点までのアプローチは、普通は元谷小屋奥の尾根の東側を登るのだが、今日はアプローチ上部で弥山尾根付近からの雪崩もありえるので、尾根通しを登ることにした。つまり元谷小屋から中央稜ルート開始地点を目指して尾根上をラッセルすることになる。

↑別山バットレス北壁の中央稜ルート(赤のライン)
案の定、ラッセルは厳しい。腰までの積雪の中、急な斜面では胸までのラッセルをTと2人で交替しながら進む。約2時間のアルバイトで別山バットレスの基部に到着。改めて壁の状況を観察しながら、クライミング装備を身につける。
防寒着に着替えてハーネスを装着。ハーネスのギアラックに確保用のカラビナや制動器を掛けてゆく・・・なんか足りないな・・・オー、ピトン(ハーケン)を全部忘れた!冬壁用に買っておいたアングルピトン(氷雪の詰まった割れ目に打ち込むV字型のハーケン)とナイフブレード(同じく幅の広い割れ目用)各種・・・
ここでルートの状況を必死で思い出して、ピトン無しで行けるかどうか、気持ちの上で確認。ビレイポイント(確保地点)には残置ピトンや残置ボルトがあるはずなので、登ることには問題ない。この場合心配なのは、いざ壁の途中から撤退という時の懸垂下降や自己確保のために、それらのギアが要るかも知れないという懸念だ。

↑別山バットレスのプロフィール(弥山尾根から)
急な雪璧からルートを登りはじめる。隣の弥山尾根に3人パーティーが取り付いている。我々よりも早い時間にクライミングを始めていたが、最初のピッチをトップが登っているところだ。我々は開始地点から50〜60Mほど登って中央稜のリッジ上に出たが、まだまだ上部までコンティニュアス(お互いにロープで繋がっているがランニングビレイ以外の確保はしない)で登るのでスピードは速い。時間を忘れて中央稜を半分ほど登ったところでしばらく休憩。後続のTを待って、ここからはお互いを確保しながら登ることにする。

↑別山バットレス北壁中央稜のルート(赤のライン)
ところどころ際どい部分を乗り越えながら、2ピッチ登って核心部の凹角下部でビレイ。雪が降っているが風はほとんどなく、ノンビリしたクライミングだ。凹角の岩の部分まではアイゼンの前爪を氷雪璧に蹴りこんでのスムーズなクライミング、ただし頼りになるランニングビレイ(中間確保)はあまりない。そんな状況から凹角下に入り込んで初めて埋込みボルトにランニングビレイをとる。浮石を慎重に確認しながら、凹角をまたぐ体勢で登ると、股の間から急なリッジが切れ落ちているのが見える。凹角を突破して確保地点へ。今度はTが登るために確保する。
私はガイドクライミングでも何度もここを登ってるが、Tは今日がこのルートの初クライミング。凹角では少し苦労していたが、さすがにベテランだけに安定して登ってくる。実はここから上部にも、きついオーバーハングと、おっかないナイフリッジが待っている。
天候はまだまだ崩れてはいないが、雪と風が少しづつ強くなってきている。隣の弥山尾根を登っているザイルパーティは、まだ我々よりも100Mくらい下で苦労している。彼らは日没までにルートを登りきることが出来るだろうか・・・
次のピッチのオーバーハングを越えると、雪璧の傾斜がゆるくなり、やがて右上部に別山北壁の最高点が見える。そこまで1ピッチを残してビレイ点を作り、Tを確保。
最高点まで40M、その先は大山の頂上稜線までナイフリッジが続いているが、これがまたいやらしい。特にナイフリッジのクライムダウンには気を遣う。Tがトップで降りる。途中のコル(鞍部)で確保。ここからは再びコンティニュアスクライミングで頂上稜線を目指す。

↑別山山頂から右へリッジが続く
ナイフリッジを15分ほど登って頂上稜線の雪のプラトーに出る。ここで本日のクライミング終了。登ってきたTとガッチリ握手して、早々に装備を片付けて下山を開始する。
風雪がいっそう強くなり、6合目の避難小屋まで下る間に顔半分の眉毛や髭に氷が張り付く。吹雪が痛くて風上に顔を向けることは出来ない。これは冬の大山の稜線では普通のこと。しかし弥山尾根のザイルパーティーはまだ北壁を抜けていないと思われるので心配だ。あと2時間もすれば暗くなってくる。北壁を抜けさえすれば、頂上の避難小屋でビバーク出来るので安全だろう。
5合目の少し上から元谷側に下降。一般ルートを歩いて降りるのが面倒なので、元谷まで一気に滑って降りる。非常に快適。頂上から1時間で元谷に到着。北壁は完全にガスに覆われて、既に近づく者を拒否しているようだ。気がつけば、2人ともクライミングに夢中で昼飯を食べ忘れていた。それに気が付いた途端に腹が減ってきた。
ルクラ発カトマンズ着の予定。早朝、ルクラより国内線航空機でカトマンズへ。朝一番シリーズ便の3番目の飛行機であった。操縦士はルクラに来たときと同じ。カトマンズ空港への着陸は旋回しながらのアプローチで着陸した。良い腕である。マナスルホテルでMさんと合流。昨日のヘリフライト以降の詳細な報告を頂いた。本当にありがとうございました。しばらくしてOさんも合流。意外と元気そうで安心。昼ご飯はカトマンズの日本料理店『古都』ですき焼き定食やカツどんを食べる。言わずもがなだが・・・美味しい。その後、ダルバルスクエアからアサントーレ、タメルを通って歩いてホテルへ帰る。途中タメルでFさんとバイラジャ一行にばったり出くわして、お土産購入。お酒も考えたが、ご本人へはトピ(ネパール式帽子)、奥様にパシュミナという組み合わせで購入。夕食はネパール料理と民族舞踊。観客注目の中で1人踊りだすFさんのパワーに度肝を抜かれる。


この日はOさん、MさんとTさん以外の本隊でナムチェを出発、ルクラに帰る。5:00起床。夜半からOさんの酸素ボンベ交換に人が動いている。シーガルトラベルのラムさんとの電話連絡で、ヘリフライトは予定通りOK。
6:00に朝食を頂いて、本隊はルクラへ出発。Oさんにはサーダーのラクパ=テンジンとMさんが付き添って、ナムチェ街区上部にあるヘリポートからカトマンズへ飛ぶ。Oさんは夜中に酸素マスクを外すと咳き込み、のどの痛みなど風邪のような症状となている。軽い高度障害と極度の身体的精神的疲労というところか?とにかく、一刻も早く安全にカトマンズの病院に送り届けたい。身体を壊してはしまったが、それだけ辛い思いをしなければ見られない光景を見てきたのだと、無事帰国後に思っていただきたい。
私にとっては思いがけず長いことお世話になったナムチェバザールに別れを告げ、ロッジのゴンパ部屋で般若心経を読経3回。お土産に祭壇の仏陀の前においてあった組紐を頂く。我々はドゥードゥコシ沿いの道をルクラへ向かう。Fさんは昨日から胃腸を壊して、頻繁に林の中に入っておられるので気の毒だ。私のほうは、ヘリの手配や病院の手配で忙しく動いているうちに直ってしまったらしい。
ナムチェからの急坂を降りる途中で、Oさん、Mさんを乗せたヘリが頭上高くを飛び去った。カトマンズ空港ではラムさんとプラビンさんが待機してくれているはずだ。それにしてもナムチェまでの道は遠い。最後にパグディンからルクラへの登りは、体力を消耗している場合はかなり辛かったと思う。AさんとDさんが疲れている。シェルパメンバーが大勢ついてサポートし、励ましながらひたすら歩くのみ。
17:00前。小雨が降る中を全員がルクラに到着。Aさんは感動の涙。皆、本当に辛い道程だった。ナワン=ユンデンのロッジに入り、カトマンズと通信。Oさんはラムさんと病院にいるとのこと。酸素吸入を止めると症状が悪くなる(血中酸素飽和濃度が酸素吸入中の90%台から70%台まで落ちる)ので、まだ病院からは出られないが命に別条はないとのこと。これで一安心。
お別れパーティーは日本・ネパールの歌と踊りで盛り上がった。ルクラで元気に合流されたTさんを含むトレッキング隊員、シェルパたち、キッチンメンバー、ポーターやヤク使いまで加わって、全員で歌って踊ってお開き。パーティーの最初にK会長の要請で岡山大山岳部歌(六高山岳部歌)を歌ったのだが、歌詞をすっかり忘れている。明日はカトマンズフライトで5時起き。いろいろあって疲労しているのか、9時には寝てしまった。

6:00に朝食を頂いて、本隊はルクラへ出発。Oさんにはサーダーのラクパ=テンジンとMさんが付き添って、ナムチェ街区上部にあるヘリポートからカトマンズへ飛ぶ。Oさんは夜中に酸素マスクを外すと咳き込み、のどの痛みなど風邪のような症状となている。軽い高度障害と極度の身体的精神的疲労というところか?とにかく、一刻も早く安全にカトマンズの病院に送り届けたい。身体を壊してはしまったが、それだけ辛い思いをしなければ見られない光景を見てきたのだと、無事帰国後に思っていただきたい。
私にとっては思いがけず長いことお世話になったナムチェバザールに別れを告げ、ロッジのゴンパ部屋で般若心経を読経3回。お土産に祭壇の仏陀の前においてあった組紐を頂く。我々はドゥードゥコシ沿いの道をルクラへ向かう。Fさんは昨日から胃腸を壊して、頻繁に林の中に入っておられるので気の毒だ。私のほうは、ヘリの手配や病院の手配で忙しく動いているうちに直ってしまったらしい。
ナムチェからの急坂を降りる途中で、Oさん、Mさんを乗せたヘリが頭上高くを飛び去った。カトマンズ空港ではラムさんとプラビンさんが待機してくれているはずだ。それにしてもナムチェまでの道は遠い。最後にパグディンからルクラへの登りは、体力を消耗している場合はかなり辛かったと思う。AさんとDさんが疲れている。シェルパメンバーが大勢ついてサポートし、励ましながらひたすら歩くのみ。
17:00前。小雨が降る中を全員がルクラに到着。Aさんは感動の涙。皆、本当に辛い道程だった。ナワン=ユンデンのロッジに入り、カトマンズと通信。Oさんはラムさんと病院にいるとのこと。酸素吸入を止めると症状が悪くなる(血中酸素飽和濃度が酸素吸入中の90%台から70%台まで落ちる)ので、まだ病院からは出られないが命に別条はないとのこと。これで一安心。
お別れパーティーは日本・ネパールの歌と踊りで盛り上がった。ルクラで元気に合流されたTさんを含むトレッキング隊員、シェルパたち、キッチンメンバー、ポーターやヤク使いまで加わって、全員で歌って踊ってお開き。パーティーの最初にK会長の要請で岡山大山岳部歌(六高山岳部歌)を歌ったのだが、歌詞をすっかり忘れている。明日はカトマンズフライトで5時起き。いろいろあって疲労しているのか、9時には寝てしまった。

本隊はタンボチェから往路をナムチェへ戻り、16:00に全員ナムチェに到着、山崎と合流した。途中、Oさんの疲労はかなり強くなっているようだ。シェルパやポーターに背負われてナムチェに降りたものの、ロッジでは酸素吸入しながら寝ているしかない。Mさんも少し疲れ気味で酸素を使用するが、こちらは短時間で回復。Oさんには夜中も酸素吸入するように手配し、食事もお粥を部屋まで運んで食べていただくが、かなり顔色が悪い。K会長と相談して、明日はOさんをヘリでカトマンズまで下ろし、できる限り早く医師の診断を受けさせることに決定。昨日のうちにナムチェに降ろすことも考えたが、やはりそうしたほうが良かったのだろうか?しかし、昨日はナムチェまで降りる時間が足りなかったことも事実だ。
直ぐにカトマンズのラムさんに電話して、明日早朝のヘリを手配、その後空港まで出迎えて病院に行くまでの段取りを打合せ決定。一切の費用はラムさんの会社で一時立て替えていただき、後日清算とする。また、病院などで英語での会話が必要なこともあり、MさんにOさんの付き添いをお願いする。
ところで、本隊と一緒に私を残したままタンボチェに行ってきた私個人の荷物バッグがやっと戻ってきた。待ち焦がれていたのはパンツだ。履いていたものは汚れたので捨ててしまった。それ以来3日間は尻にトイレットペーパーをあてがってのノーパンである。睡眠中に突然下痢に襲われ、ズボンまでその被害にあった時などは、ノーパンのトイレットペーパーに直接レインウェアを着て寝た。・・・人間こうなってしまえば、実にたわいのないものだ。オレンジジュースと薬とトイレットペーパーを持ってきてくれるシェルパニだけが頼りなのだ。大事なのは、たわいのない自分を受け入れて生かしてくれる人や自然に、愛情を持って生かしてもらうことではないだろうか?
この晩、Fさんはロッジ内のゴンパ(寺院)部屋に泊まることとなった。K会長も同室だったが、ゴンパ部屋の独特の居心地から食堂で寝ることにされたらしい。私はこのロッジの娘さんの部屋を与えられたが、寝台が小さすぎるのでK会長と同じく食堂で寝ることとする。

直ぐにカトマンズのラムさんに電話して、明日早朝のヘリを手配、その後空港まで出迎えて病院に行くまでの段取りを打合せ決定。一切の費用はラムさんの会社で一時立て替えていただき、後日清算とする。また、病院などで英語での会話が必要なこともあり、MさんにOさんの付き添いをお願いする。
ところで、本隊と一緒に私を残したままタンボチェに行ってきた私個人の荷物バッグがやっと戻ってきた。待ち焦がれていたのはパンツだ。履いていたものは汚れたので捨ててしまった。それ以来3日間は尻にトイレットペーパーをあてがってのノーパンである。睡眠中に突然下痢に襲われ、ズボンまでその被害にあった時などは、ノーパンのトイレットペーパーに直接レインウェアを着て寝た。・・・人間こうなってしまえば、実にたわいのないものだ。オレンジジュースと薬とトイレットペーパーを持ってきてくれるシェルパニだけが頼りなのだ。大事なのは、たわいのない自分を受け入れて生かしてくれる人や自然に、愛情を持って生かしてもらうことではないだろうか?
この晩、Fさんはロッジ内のゴンパ(寺院)部屋に泊まることとなった。K会長も同室だったが、ゴンパ部屋の独特の居心地から食堂で寝ることにされたらしい。私はこのロッジの娘さんの部屋を与えられたが、寝台が小さすぎるのでK会長と同じく食堂で寝ることとする。




