岡山大学山岳会・岡山大学山岳部

ネパール西部・ダウラギリ地域の学校と村落支援・交流活動

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大山山の家・利用案内

大山山の家・利用案内

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ブナ林の中に佇む大山山の家 南光河原の石を積み上げて作った 1954年建設

内部は電気が灯り、水道が引かれ、石油ストーブが設置されており(灯油は実費、大山寺ガソリンスタンドで購入)、山小屋として十分活用できます。
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大山寺橋の横にある駐車場から河原沿いを川上へ歩いて徒歩5分ほどの所にあり、通年利用できますので登山やスキーの拠点としてまた、夏の避暑地として活用できます。

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内部の写真 1階はテーブルと畳敷きの1部屋からなり、数人の宿泊に充分の広さがあります。


利用方法
事前に岡山大学「大山山の家」使用願(様式は学生支援課窓口で)学生支援課に提出してください。
※現在利用できるのは、岡山大学在学生、卒業生、職員に限られています。

宿泊料:1人1泊300~400円
その他:寝具はありません。宿泊者は寝袋などを持参してください。
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[ 2013/10/25 12:46 ] 大山山の家 利用案内 | TB(-) | CM(0)

Ⅴ海外遠征の記録(大森)

Ⅴ 海外遠征の記録

1967年9月~1968年1月
部員磯部広勝単独でランタンヒマール、エベレスト山群、ガネッシュヒマール、ダウラギリヒマール等の幅広い範囲の踏査を行う。


1973年3月~5月
ガネッシュ、ダウラギリ、ランタン山群の予備調査を行うため踏査隊を派遣する。

隊長/石原武美(OB)
隊員/小倉英郎(OB)・川口憲二・北原孝・福尾英一


1975年1月~5月ダウラギリⅤ(7618m)初登頂
岡山大学ネパールヒマラヤ学術登山隊に参加、未踏峰で魔の山と知られていたダウラギリⅤ峰(7618m)挑戦。
同年5月1日、隊員森岡政明(OB)とシェルパのペンバ=ツェリンの二人が初登頂に成功する。

登山隊長/楳木栄一(岡山大学教授)
登攀隊長/定金司郎(OB)・医師/湯本泰弘(OB)
隊員/石原謙・山崎源三郎・小倉英郎・青木重夫・功野勝・平塚広志・川口憲二・森岡政明(以上OB)・市川徳和・黒田治久・溝畑宏道

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1975年5月1日ダウラギリⅤ峰頂上に立つ森岡隊員


1979年8月~10月ラプサン・カルポ(7110m)初登頂
岡山大学山岳会ネパール合同登山隊として未踏峰ラプサン・カルポ(ガネッシュ・ヒマールⅢ峰7110m)に遠征。1979年10月19日、小倉英郎(OB)、ペンバ=チェリン(ネパール隊員)が初登頂に成功、第二次アタック隊で江口真二(OB)、前田光康、ミンマ=テンジン(ネパール隊員)、第三次アタック隊で北原孝(OB)、横尾信も登頂に成功する。※ガネッシュ・ヒマールⅡ峰7150m(旧)はネパール政府観光局により7110mに標高改正され、現在はガネッシュ・ヒマールⅢ峰となっている。

登山隊長/大森武生
登攀隊長/小倉英郎
隊員/北原孝・黒田治久・江口真二(以上OB)・前田光康・横尾信・ペンバ=チェリン・ミンマ=テンジン(ネパール隊員)

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ラプサン・カルポBC(山頂は尾根の奥にある) / 南東稜を登る横尾隊員
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日ネ・岡大旗と頂上に立つ小倉登攀隊長 (左奥にマナスル)


1986年8月~10月トリプラ・ヒウンチュリ(6553m)初登頂
岡山大学山岳会ネパール・ヒマラヤ遠征隊として未踏峰のトリプラ・ヒウンチュリ(6553m・Hanging Glasier Peaks)に遠征。1986年10月17日、畑典之、時本堅、アン=プーリ=ラマ(シェルパ)が初登頂に成功する。

登山隊長/田中源三郎(OB)
登攀隊長/畑典之(OB)
隊員/時本堅・小早川俊祐(以上OB)・山崎裕晶

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在学生主体で計画を進めた未踏峰だった。右の岩稜から頂上へ達する。


1990年4月~7月ガッシャブルムⅠ峰(8068m)西稜初登攀
岡山大学山岳会カラコルム遠征隊としてガッシャブルムⅠ峰(Hidden Peak・パキスタン・カラコルム山域・8068m)に遠征。バルトロ氷河の最奥、約5kmにわたる長大な未踏の西稜に挑戦し、1990年7月16日、片山貴寛(OB)、山根智弘、ハイポーターのラジャーブ=シャーが登頂に成功する。

総隊長/武田昌策(OB)
登山隊長/黒田治久(OB)
医師/渡辺泰彦(OB)・佐藤倫由(山岳会以外から参加)
隊員/石原謙・片山貴寛・財津智英・東善弘・田尻英彦・山崎裕晶・坂元賢次(以上OB)・中川広幸・山根智之

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8000M峰の未踏ルートを求めて登ったG1(山頂から左に西稜が下りる)
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西稜7000M付近のプラトーを登る


[ 2013/10/25 12:04 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

Ⅳ国内における主な記録(大森)

Ⅳ国内における主な記録

1951年より大山北壁の沢登りを始める。以後三鈷峯ルンゼ・大山南壁の沢など積雪期も登攀を行う。

1954年8月1日~8月13日南アルプス全山縦走(当時としてはかなり困難な行程である)/黒戸山~駒ヶ岳~北岳~広河内岳~塩見岳~荒川岳~赤石岳~聖岳~光岳

1956年12月31日~1957年1月1日厳冬期富士登山(C.LOB吉岡S.L中務)

1959年3月21日~4月4日春季剣岳合宿/馬場島~早月尾根~剣岳頂上~池ノ谷乗越

1960年9月9日~10日大山北壁大屏風岩登攀成功利光泰郎・大森武生

1961年7月13日~23日穂高岳涸沢固定合宿/参加者24名(C.L那須S.L田中)滝谷の大部分の尾根及び沢の登攀に成功

1962年12月20日~30日剣岳奥大日尾根国内初登攀に成功/参加者22名(C.L川西S.L竹内・藤田)

1964年3月13日~3月31日春季知床半島縦走/岬隊(C.L青野S.L石原)遠音別隊(C.L大内S.L小野)

1965年12月20日~29日薬師岳~雲ノ平~三俣縦走(C.L山崎S.L小野)

1971年12月21日~29日南アルプス北部縦走(C.L功野S.L北原)

1978年12月19日~26日剣岳/小窓尾根~本峰~早月尾根

1981年12月25日~31日南アルプス南部縦走/三伏峠パーティ(C.L岡村S.L佐野)転付峠パーティ(C.L財津S.L畑)

以後は特に新しいルートの記録はなく、季節を変えるなどをして登攀活動をしている。
[ 2013/10/25 11:54 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

Ⅲ日本アルプスに学び、鍛える(大森)

Ⅲ日本アルプスに学び、鍛える

1952年夏合宿を北アルプス剣沢で行って以来、夏季は日本アルプスで固定合宿を行うようになった。その後固定合宿終了後縦走を数パーティに分かれて実施していた。

日本アルプスでの最初の春合宿は、1954年3月、八方尾根で行い、五竜岳・白馬岳をアタックしている。

1957年元旦、厳冬期富士登山に成功。

1959年1月、日本アルプスでの最初の厳冬期固定合宿遠見尾根で行い鹿島槍をアタック。これ以後年間を通じて固定合宿を大山のみとせず、日本全国の山を対象とするようになる。

1961年以降1980年頃までは部員の数も増え、合宿には常に20名以上が参加し、岩登りに、縦走に素晴らしい記録が残されている。1963年には、部員数37名と大世帯となり、山岳部の最盛期を迎える。

1987年頃までは10名前後の部員を確保できたが、その後は減少するばかりであり、計画の縮小を余儀なくされた。1996年以降には部員数5名となる事もあり各期の合宿はOBが参加してその活動を援助している。

部が充実してくると、より高度な、より困難なルートに挑戦するようになり、合宿中の事故が起きるようになり、その事故対策を真剣に取り組む必要性が生じた。OBの数も増えてきたのでOBと現役部員で組織する岡山大学山岳会があらゆる分野において現役を援助する体制をとるようにした。
[ 2013/10/25 11:51 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

Ⅱ大山に学び、鍛える(大森)

Ⅱ大山に学び、鍛える

1950年(昭和25年)から六高山岳部の指導を離れ、独自の山行を模索する事となった。大山については、お世話になり指導を受けたのは玉野高校山岳部顧問をしておられた光畑正夫氏であった。大山の夏山のすべてを特に沢登りを指導していただいた。こうしてつぎのステップを目指した時、創部以来、部を背負ってきた大先輩村上安之氏を大山二の沢上部で失った。1954年(昭和29年)8月22日。

大山の冬山も独自で挑んだ。1951年(昭和26年)冬、当時南光河原にあった米子中学のヒュッテを借りての合宿中、初めて上宝珠尾根を登って以来、着々と大山の岩壁に足跡を残した。

夏山の日本アルプス縦走は、創部2年目より実地していたが、4年目にあたる1952年夏は剣岳に10日間の合宿を行い、チンネ・八つ峰等を攻撃するまでになった。

大山から日本アルプスに活躍の場を移しつつあった1956年(昭和31年)1月、県民の皆様に心配をおかけし、かつ「ガンバレ」の声援の声をいただいた大山稜線上での5日間の「ビバーク」のあと、神田利男・土光格次郎氏が生還した。この生還について、当時大山の遭難救助の大ベテランだった故桐山武氏は、1970年(昭和45年)12月27日付の山陽新聞紙上「あれがほんとうの山男だ。」とほめている。
[ 2013/10/25 11:48 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

Ⅰ創部時代(大森)

Ⅰ創部時代

1949年(昭和24年)8月1日、開学と同時に創られた伝統ある部である。創部当時の部員は、すべて旧制第六高等学校からの入学者。顧問は、猪野俊平教授。発起人は、竹林英二(法文)-主将・村上安之(理・医学)-副主将であり、藤井学(法文)-幹事、岡田和夫(理・医学)がいた。

初年度の部活動は、六高(三年生のみ在学)山岳部の小林勝氏の指導のもとに実施された。

1949年(昭和24年)
9月伯耆大山六高・岡大合同登山(六高2名岡大2名)
12月伯耆大山六高・岡大合同スキー合宿

1950年(昭和25年)
1月道後山六高・岡大合同スキー登山

同年3月、1924年(大正13年)創部の六高山岳部は母校とともに終止符を打った。

岡大山岳部は、その装備(テント2、スキー2、ザイル2、その他)譲り受け、1年間は、山行を共にし、指導を受けて第一歩を踏み出した。
[ 2013/10/25 11:45 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

岡山大学山岳部・部歌

岡山大学山岳部・部歌


 1 スキー担いで    アイゼン締めりゃ
   映るシリウス     ホーイ    雪の峰     ヤッホー

 2 高度三千       縦走コース
   尾根は尾根でも   ホーイ    桁外れ     ヤッホー

 3 重いリュックにゃ   泣かないけれど
   槍が曇れば      ホーイ    気も曇る    ヤッホー

 4 焼は焼けても    穂高は焼けぬ
   焼けぬ穂高が    ホーイ    雪化粧     ヤッホー

 5 ランプ便りに     プランを立てりゃ
   明日は穂高か    ホーイ    ジャンダルム ヤッホー

 6 焚き火囲んで    怪談すれば
   セントエルモの    ホーイ   火が見える   ヤッホー

 7 山の善哉       旨いじゃないか
   ダンケ・バーチェン  ホーイ   また来るぞ   ヤッホー

 8 明日はお発ちか   お名残りおしや
   徳本峠で       ホーイ   投げキッス   ヤッホー


[ 2013/10/23 14:38 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)

村上安之氏追悼歌

村上安之氏追悼歌
(作詞 神田利男)

1.思えばこぞの8月に 鋭くそそる二の沢に
雄々しき血潮たぎらせつ いどめる君やいまいずこ

2.思い出多き北壁に 霧に行くての登路知れず
ザイルに心の通う時 たのもしかりし君の笑み

3.若き命の情熱を 山に捧げし君なれば
岩にいだかれ眠れるを などで悲しと云えようや

4.されど過ぎにし青春の 尾根に北斗をあおぎつつ
盃交わし語れるを しのぶる胸に涙あり

5.キャンプファイヤーのかがり火で 教えくれにし歌のかず
墓標に向かい口ずさむ エーデルバイスの唄悲し


[ 2013/10/21 14:44 ] 岡大山岳会の歩み | TB(-) | CM(0)
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